88歳の妻を亡くした悲しみの深さについて思うこと

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齢88、元気で家事もひとりでこなしてたが、7月初めに肺がんとわかったときにはもはや両側に拡がっており手術は出来ず、入院28日目に亡くなった、と聞けば、年齢も年齢だし一月に満たない病脳期間だし、楽な往生と言えるんじゃないかな。と思う。しかしだ、この方の夫85歳、彼は果てしなく妻の死を悲しんでいる。どうしていいのかわからないという。お茶一杯自分で淹れられないという。それでも近くに住む息子たちが宅配の弁当を手配してくれ、食べることはなんとかなる。姉さん女房が自分を60年面倒見てくれていたから、全てにおいて、喪失感が深すぎると話される。

あたしたちは、この方の年齢まで生きてきたらもう満足だろうと安易に思ったりしていた。

でも人は大事な人を喪ったとき喪失の穴に落ち込む落ち込み方はいくつになっても同じと思い知らされる。

連れ合いが怒って機嫌悪くしているとき、いなくなったときに悲し過ぎないようにしてくれてると思うようにする。

連れ合いに優しくしすぎると自分がいなくなったとき困り果てるかもしれないからほどほどにする。

そんな練習をしても喪失の穴を浅く小さくすることは出来ないのだろうね。

だからね、いじわるはやめて、目一杯優しくしようね。自分の出来ることを精一杯してあげようね。

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ブログに無関係な雲の上の富士山(^ ^)