クラナッハ正統派鑑賞者の覚書

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チケットにある絵は「ホロフェルネスの首を持つユディト」という。

 

 

 

 

 

 

 

 

クラナッハはクラーナハと表記されて登壇した。はてな。これを機にクラナッハをクラーナハとするのだ、というキュレーターの勁い意図あるいはたくらみを感じ、彼らがほくそ笑む姿を想像してしまう。

そんな前置きはさておき、いきなり「首」だ。

しかし、残念なことに、どうせ惨たらしい首をチケットにするなら原画にある頸の断面まで入れてよね。

冷ややかな視線のユディトが持つホロフェルネスの首、その頸の断面の描写に思わず目が離せなくなり、解剖学的に正しいのかという思いがよぎったが、そこは絵画鑑賞の極意ではない。正統派鑑賞者の姿を装いながらも、さらに陳腐な事事がアタマに浮かんで仕方ない。

500年の時を経て目の前に在るクラナッハのヴィーナス像。この像に魅入ったのは、妙な琵琶のような、はたまた洋梨のような体型に我が身をなぞらえ得た少女時代であったが、数十年の時を経て、別の意味で洋ナシ体型になっちまった、と思い眺めるあたしでした。この絵、実物はすごく小さくて驚きました。

それにしても、クラナッハは、かのマルチン・ルターの結婚の介添人であったとは。

 

 

 

 

 

 

 

頸断面はこちらでございます。

余談ではありますが、ミュージアムショップにはこの絵をプリントしたTシャツが、お代10000円で売っていました。

 

着たくない。。。