私は、子供の頃、突然耳が痛くなって泣き叫びながら耳鼻咽喉科に連れて行かれた記憶があります。痛くて泣き叫んでいたのですが、耳鼻咽喉科というところには、頭に丸い鏡(これを額帯鏡(がくたいきょう)といいます)を付けた閻魔さまがいるとでも思っていたのか、行くのが怖くてさらに泣き叫び、引きずられるようにして医院に着いたころには、泣きつかれていたという有り様でした。
・・ん?わたくしどもの医院に泣き叫んで連れて来られるお子さんたちは、怖い鬼ババがいるとでも思っているかもしれませんね。そして、私は物心つくころまで、耳鼻咽喉科のセンセイってお医者さんなの?とまで思っていました。もちろん我々は医学部を卒業しています。外科のことも内科のことも眼科のことも精神科のこともすべてからだのことを勉強しています。
私も、耳鼻咽喉科のセンセイのことを閻魔さまのように思ったり、ほんまもんのお医者さん?と疑ったりしていた子供でした。このホームページはそんな子供が大きくなって、耳鼻咽喉科医になり、耳鼻咽喉科の病気をわかりやすく伝えるために作りました。
「風邪かしら?鼻水が出る。でも熱はないし・・・」
それはアレルギー性鼻炎かもしれません。耳鼻咽喉科にどうぞ。
「ノドも痛くて咳も出るし熱もある。」
そんなときも、もちろん耳鼻咽喉科にどうぞ。
「めまいがします。あるいは、ふわふわします。」
「首にしこりがあります。」
「いびきをかくのですが、いびきって病気なんですか?治るんですか?」
こういったご相談は耳鼻咽喉科にどうぞ。
このホームページではそんないろいろな疑問に出来るだけお答えしたいと思います。
私の子供のころの悩みは子供らしからぬ低い声。これをカバーするためにと習わされたピアノも、何年やっても上達しませんでした。そんな(母いわく)ブタのような声を出す声帯を持ち、音楽を聞き取る耳を持たない生まれもって音痴な私が、今、毎日患者さまの声帯や鼓膜を診ているのですからおかしなものです。
実は私は医学部に行く前に文学部哲学科美学美術史学科を卒業しました。文学部は人生のパラダイスでした。しかし美学といった形而上学(けいじじょうがく)を一生の仕事にすることは私には難しすぎました。一方、医学部の学業は地獄の苦しさとも思える講座もあって厳しかった記憶ばかり。しかし、はっきりした目標があることは前に進みやすいのです。
医学部で科を選ぶのは卒業直前なのですが、このときはとても迷いました。多くの科の中から耳鼻咽喉科を選んだ一番の理由は、細やかな部分を扱う外科的手術と、「からだの入り口」に興味があったからだと思います。おかげさまで、いびきの手術である咽頭形成術は誰よりも多くさせていただきましたし、今もからだの入り口を毎日診察させていただいております。
はからずも医学生時代に卵巣の手術を受けました。入院患者の気持ちがわかった気がしました。
この時代に二人の子供も出産しました。産みの苦しみがわかった気がしました。
子育てと仕事の日々の中で、子供の“成長の仕方”を知り、“罹る病気”を目の当たりにし、これらを見守る母親の気持ちを身をもって知りました。
そして子供たちが社会に出てホッとしたのも束の間、今度は我が身の“更年期体験”です。
患者さんが「不定愁訴(更年期特有のさまざまな症状)」を訴えてこられても今まで頭でしかわからなかったことが、自分に襲いかかってきたのです。浮動感や頭重感、そして顔のほてり等々。
この更年期障害の治療法をあれこれと自分で試し、つらい時期を乗り切ってきました。
私は一人の医師でありますが、当時は一人の患者でもありました。
そして今は“八尾のオバちゃん”でもあります(笑)。
このような体験を日常の診療に活かしていきたいと思っています。
私の信条は、すべての患者さまに「必要最小限」の検査で「的確」な診療を提供し、「敷居の低い」診療の場をつくることです。医院は病気の方がお越しになるところですから、遊園地のような決して楽しい場所ではありませんが、ちょっとでもいい気分になって帰っていただけるようにスタッフともどもいつも心がけています。
経歴
奈良県立医科大学 卒
奈良県立医科大学附属病院 耳鼻咽喉科入局
現 大阪府アレルギー呼吸器センター 勤務
奈良県立医科大学附属病院 救命救急科勤務
友紘会病院 勤務
阪和住吉総合病院勤務
平成11年 にしむら耳鼻咽喉科開院