ドキドキイビキ職人みみはなこのブログドキドキ 
いびきと睡眠時無呼吸 で悩む
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今日は八尾西武百貨店最後の日。

八尾に来て18年目のあたしですが、ここからはちょっと行きにくいので買い物をした思い出はないです。

しかし、

しかし、

八尾西武には開店したときイベント会場があり、舞台や映画が上演されていたのです。

それは1983年と1984年のこと。

寺山修司のレミングの舞台。

寺山修司さんが亡くなってすぐのころの

劇団天井桟敷の舞台「レミング」です。

全くわけのわからぬ公演でありました。しかし、あの真っ暗の中に仄白く浮かび上がる肉体の無駄の無さと無駄な動き。意味の無さとこめまくられた意味の深さ。あゝ全くわけがわからない、のに、わかったふりして上演会場から出るアバンギャルドを目指していた自分。しかし、出たら目の前はあの八尾西武の食堂街。わけがわかる世界に戻ってほっとする自分。

 

 

 

今日はあの西武が無くなる日。

 

 

もう一つは

デヴィッド・ボウイの映画「地球に落ちて来た男」

地球に落ちてきた女になった気分で会場から出てきた、シュールリアリストを「研究」していた自分。

ボウイさんも亡くなってしまいました。

 

今日は八尾西武最後の日です。

 

 

 

チケットにある絵は「ホロフェルネスの首を持つユディト」という。

 

 

 

 

 

 

 

 

クラナッハはクラーナハと表記されて登壇した。はてな。これを機にクラナッハをクラーナハとするのだ、というキュレーターの勁い意図あるいはたくらみを感じ、彼らがほくそ笑む姿を想像してしまう。

そんな前置きはさておき、いきなり「首」だ。

しかし、残念なことに、どうせ惨たらしい首をチケットにするなら原画にある頸の断面まで入れてよね。

冷ややかな視線のユディトが持つホロフェルネスの首、その頸の断面の描写に思わず目が離せなくなり、解剖学的に正しいのかという思いがよぎったが、そこは絵画鑑賞の極意ではない。正統派鑑賞者の姿を装いながらも、さらに陳腐な事事がアタマに浮かんで仕方ない。

500年の時を経て目の前に在るクラナッハのヴィーナス像。この像に魅入ったのは、妙な琵琶のような、はたまた洋梨のような体型に我が身をなぞらえ得た少女時代であったが、数十年の時を経て、別の意味で洋ナシ体型になっちまった、と思い眺めるあたしでした。この絵、実物はすごく小さくて驚きました。

それにしても、クラナッハは、かのマルチン・ルターの結婚の介添人であったとは。

 

 

 

 

 

 

 

頸断面はこちらでございます。

余談ではありますが、ミュージアムショップにはこの絵をプリントしたTシャツが、お代10000円で売っていました。

 

着たくない。。。

無呼吸さんはおデブの方に多い傾向にあることは、ご存じですよね。

本日の無呼吸さんもあと少しで0.1トンの陽気なおデブさんでした。

CPAPを使うことになり、

次回の診察日は一ヶ月後ですね〜と、、、

ひと月後に見えると、なんだかおデブの貫禄が消え小デブぐらいになっていらっしゃる。

あらあ、ダイエットもがんばったのですね!

すると、陽気に語り始めた無呼吸さん。

今まで、夜中に冷蔵庫開けてなんやかんや食べてたんやけど、シーピーエーピー♫使い始めてからよく眠れて食べなくなりましたあ!

なるほど。

夜中に目覚めるから、つい食べてしまってたのですね。

PPAP効果でCPAPもシーピーエーピー♫でござりまする。

 

 

 

 

 

 

こいつは舌を出して平和に寝ておりまする。

うらやましい。