ドキドキイビキ職人みみはなこのブログドキドキ 
いびきと睡眠時無呼吸 で悩む
すべての人々とその隣で眠る相棒たちに
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サンマの美味しい季節ですね。皆さんはサンマの小骨くらいはムシャムシャ食べちゃってますかね?しかし、こんな小骨でもノドに刺さったと言って来られる方は案外多いのです。小骨は口蓋扁桃、つまり、扁桃腺と呼ばれる出っ張り部分にささっていることが多いのですが、舌の付け根や喉頭蓋というノドの奥のほうにあることも。魚の骨で多いのはウナギ。これは意外な感じがしますが、このごろの給食では土用のウナギの日に、ウナギが出ることもあるらしく、給食食べた後にやってくる小学生もいます。これらはノドに刺さって痛みや異物感がありますが、さしあたり、息が出来なくなることはまずありません。(もちろん、放置すると稀ではありますが、膿の溜まりが出来て大変なことになる場合もありますが。)

ノドに食べたものが詰まって怖いのは窒息。お餅がノドに詰まって息が出来なくなる事故はお正月などにときどきニュースになっていますね。

救急科で研修中の息子Bがしばらくぶりに帰宅。敬老の日に姪っ子が母に買ってきたバームクーヘンが食卓にあったのをボリボリ食べながら、

「バームクーヘン窒息に気をつけなあかんでえ」と母に言うてます。

?バームクーヘン窒息?

彼が勤務している西宮あたりの高級老人ホームから一度ならず運ばれてきた方々のノドに詰まっていたのは季節柄お餅ではなく、バームクーヘンだったと言うのです。

バームクーヘンはしっとりした焼き菓子というイメージがありますが、意外に口の中ではパサパサするらしく、若い人ならサザエさんのエンディングにあるようにゴクっと食道につまる程度で済むのでしょうが、お年寄りは食道に入る手前で詰まってしまって、息が出来なくなってしまうことがあるようです。

あたしも「バームクーヘン窒息」は知りませんでした。

類似のホクホクした食べ物には気をつけて下さいね!


お彼岸も過ぎて夜の時間が長くなりました。二十四節気は秋分、七十二候では以下の通り。
初候 雷乃収声(らい すなわち こえを おさむ):雷が鳴り響かなくなる
次候 蟄虫坏戸(ちっちゅう こを はいす):虫が土中に掘った穴をふさぐこと
末候 水始涸(みず はじめて かる):田畑の水を干し始める
鳴り止み、地に潜り、水涸れる。
すべて負の方に向かう言葉で季節を表現しています。

しかし、しかし、お楽しみはこれからですよ〜。

昨晩のスーパームーンの下、頭を垂れる稲穂たち。三輪のお山はいつも美しい。

大和盆地にも実りの秋がやって来ます。

 
そしてこのお方は今年も日をまちがえることはありませんでした。

   


何気なくテレビを見ていると福山雅治さんが出ているCMだったか、「子どものときから負けず嫌いだった」と言っています。特に違和感のない言葉なので普段なら聞き流すところが、なぜだか、少なくなりかけた脳みそのシワに引っかかったら夜も寝られない(^^;;

負けず嫌い⁈

負けるのが嫌いなこと。

そんなことは小学生でも知ってるさ。

じゃ、この「ず」は一体なんなの?

負けず、って負けないこと、ず  は否定打ち消しの「ず」ではないのか?

これなら「負けないことが嫌い」になっちまわない?

で、検索。

世の中には同じこと考えている人がいるものだ。

答えは複数通りありました。

其の一   負け嫌いと負けじ魂の混合

其の二   負けんとす→負けんず→負けず      に変化した

其の三   ず は接頭語で、ず太い、ず外れなどの 「ず 」 と同様、ず嫌いであり、ひどく嫌いという意味。

自分としてはどれも納得したがどれにも疑問符、という感じです。

因みにNHK放送文化研究所によると、

其の一。

日本語は難しいニャア。 ペロン。

  
 

さて、二十四節気は「白露」です。

初候は  「草露白」  草に降りた露が白く光る時期だそう。たしかに朝露に草が濡れ、冷んやりして来ました。

次候は  「鶺鴒鳴」  鶺鴒はセキレイ。そういえばこの鳥、庭で見たことあります。鳴き声を聴いたことはないけど。

末候は  「玄鳥去 」 玄鳥とは燕です。つばくらめが南に帰っていくころ。

さっき医院のビルの燕の巣見てきました↓ 


いつのまにやらもぬけの殻でした。

これを見ると、その昔、高校時代、

つばくらめは南の国に帰っていきます

と遺書を残した一つ年下の女の子がいたことを思い出します。

くらつばめが去った巣あとを眺めながら南の国に思いを馳せる秋の夕暮れ。

しかし帰って行ったつばくらめたちはまた来年ぴゅんぴゅんやってきますから。

 


9月です。日本の新年度は現在のところ4月ですが、9月という月は4月とはまた別の趣きというか意味合いというか個性みたいなものがあるような気が以前からしていました。自分の節目となるような出来事に出くわすことが9月には多かった。節目といっても、若い頃は失恋とか新しい出会いとかが生活の基軸になったりしがちなものでして…..

そう!竹内まりやさんの「セプテンバー」ですよ!歳がバレます(^^;;

8月末日にニュース9を何気なく見ていたら、長い夏休みが終わって新学期を前に不幸な終末を迎える子どもたちの特集をやっていました。新学期が生きていけないほど辛いという。それを誰にも相談出来ず自らの命を絶つ子どもたち。あたしにも子ども時代、いじめられた経験があります。大人、それも、かなりのオトナになったいまでも忘れていない。今でいうシカトでした。クラスの女子のほとんどが自分と口をきかない。首謀者はたった一人なのにそれがクラス中に広がっていく。きっかけは学級会でちょっとした正義感をもって意見を言うただけのことでした。その時は人生においてこんなに辛いことがあるのかと思ったですもん。

そのうちなんとかなる、なんて簡単には言えないですが、時代も違いますしね、でも、なんとかなる….

災厄からは逃げて生きて欲しい。鴻上尚史さんも特集でおっしゃってました。敢えて立ち向かわずに逃げろ!と。

今日生まれた赤ん坊でもたかだか100回の正月もクリスマスも迎えられるかどうかなんですから、そんなに慌ててはいけないニァア。
  
ゆっくりいきましょうや。

あ、そうそう、

セプテンバーと言えば今は竹内まりやじゃなく、Earth  Wind&Fireでもなく、オレンジレンジとかですか?

しかし、この歌詞はいけません……..

このBlog記事を途中まで書いたままにしとおいたら、

9月も第1週を過ぎて、二十四節気は「白露」になりました。
続きは次回に。