ドキドキイビキ職人みみはなこのブログドキドキ 
いびきと睡眠時無呼吸 で悩む
すべての人々とその隣で眠る相棒たちに
捧げるメッセージをお届けすべく始めました。
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ラブラブ どうぞよろしくお願いします ラブラブ

二十歳を過ぎたばかりの女性患者さん。キャピキャピした感じはなくしっとりと落ち着いた綺麗なお嬢さんです。この方は今回初めてお目にかかったのではなく、小学生、いやもしかしたら幼稚園児のころからときどき見えていたので、ずいぶんと大人になったなあと思って話を聞きました。

声がかすれて出ないのです。

とおっしゃる、お声にかすれはない。

今の時間は大丈夫なんです。午前中10時から12時までの間だけなんです。

??

たしかに、朝起きたときにノドがカラカラになってて声がかすれる、ということはありますね。

しかし、この方、

朝は大丈夫です。今年始めぐらいから10時から2時間ぐらいだけ。

お仕事で声を出しすぎてはいませんか?と、ベタな質問に、

仕事は葬儀の司会進行で声は使いますが、大声ではありません。

とくにその時間に集中して仕事が入るわけでもありませんし。

声帯診ても特に異常は見当たらず。

なにか、緊張してしゃべっているということはありませんか?

それも、ありません。この仕事ももう3年目ですし、午後や晩の司会は全くかすれたりしないです。

??

これぞ、魔の刻じゃ!

と、診断もつけずに叫ぶわけにもいかず、

今度、その時間に来られる日があったらみせてくださいね。と、あたし。

先のブログで親友の父上のお通夜お葬式のことを書きましたが、その時の司会も女性の方でした。かなり長い台詞が読まれ、こういう席の紋切り型があるのだなあとちょっと感心して聴かせていただきました。

ところで、全くのひどい余談ですが、

魔の刻(まのとき)という映画、ヒマを持て余した大学生のころ、家庭教師先のおじいさんが東映の株主で映画チケットをいっぱいくださったので、それを消化するために観に行ったことを思い出しました。なんと、岩下志麻演じる母親とまだ若き坂上忍演じる息子の異常な愛を描く問題作で、うら若きあたしには胸が悪くなるような映画でした。しかし、この映画、高倉健さんの一連の作品や鉄道員ほっぽやなどの監督、降旗さん。何十年たっても覚えているのだから「魔の刻」は名作なのでしょう。

こんな当て所ない思索(とも言えない)の軸を戻し、なぞの嗄声(声がすれ)はいかにして起きるのかを思索しなければ。。。

その時間になったら声が出ないことが何度かあって、そのうち、その時間になったら声が出ないと思い込むようになるという心理的要因で嗄声になると考えるべきか?

心因性失声というのがありますが魔の刻限定は見た経験はありません。。。

そう言えば、あとから考えると心因性失声だったのでしょうが、その時息が苦しいと過呼吸ぎみになっていた女子高生の患者さんが気管切開されたのを見たことがありました。

心因性難聴、心因性めまい、心因性視覚障害……「心因性」にはまことにいろいろありましてなかなか厄介です。

二十四節気は小雪です。

  
ネコもフクロで丸くなる小雪です。

虹蔵不見(にじ かくれて みえず)

朔風払葉(きたかぜ このはを はらう)

橘始黄(たちばな はじめて きばむ)

この連休は幼稚園からの親友のお父さんが亡くなられて、お悔やみ、お通夜、お葬式でした。数ヶ月前から体調不良がおありでしたが、先週お見舞いに伺った時は、「ああ、アッコちゃんか、久しぶりやな」とおっしゃってたのに、ご高齢で腎不全であったので急にお迎えが来たと言う感じでした。出棺の時に雨が降り始めますます寂しい気持ちになりました。

あたしは父を20年前に亡くしましたが、その後も波乱万丈、「人は父を亡くして初めて大人になる」と言うどこで仕入れたかもわからない名言?を信じて、余計なことを仕出かしては、その言葉に疑問符を付けまくってきました。身を以って名言に非ずを証明したようなもの。だって、20年も長くお父さんがいた親友の方が余程オトナと思います。まあ、しかし、こんな自分でもン十年付き合ってきてくれた親友には感謝しています。

アッコ、あんた、大丈夫か?

と、お悔やみに行った彼女の実家からの帰り際、逆にあたしのことを気遣ってくれたぐらい。

姉妹よりも仲が良い親友といつもあたしたちの留守にニャンコの世話しに来てくれる親友娘っ子ちゃんに感謝。

 

 

まずは記事見て下さい。 

 終点関空へ行くものと乗っていたら、日根野から車輌切り離され、和歌山に行ってしまうと、さあ大変!飛行機に乗り遅れてしまう!これは外国人でなくても間違ってしまうことがあります。あたしは和歌山に行きたくてこれに乗り、危うく関空に行ってしまいそうになったことがあります。これをボランティアで案内している80歳のお方の記事。まことに頭が下がります。

あたしが日々乗っている19時台の天王寺から奈良へ行く大和路線の快速も、王寺から前4両は奈良へ後ろ4両は万葉まほろば線で高田方面へ行くようになってるのです。通勤に使ってて慣れている人はともかく、そうでない人は慌てて前の車輌に走ったり、あるいは、発車後に気が付いたり。毎日必ずそんなシーンを見ます。もし、まちがって万葉まほろば線のほうに行ってしまうと、ここは単線だから反対方向の列車がなかなか来ないという憂き目に遭ってしまいます。飛行機に乗り遅れるほどではないにしても。

こんなややこしい列車を走らさなくちゃならないのかしらね?たしか何度か前のダイヤ改正でこうなったのですが、元に戻してほしいと思ってるのはあたしだけではないと思います。

あら、気がつけば、24節気は霜降を通り越して、立冬になっていました。しかし、あんまり寒くないですなあ。お昼は20度近いです。

しかし木々は色づき始めました。

   

スノーボール、名の通り真っ白な球のように花をつけるのですが、この時期葉っぱは真っ赤です。

椛 はぼちぼちですね。

季節はできるだけゆっくりとゆっくりと移り変わってほしいと思うようになりました。

歳が増えるとはこういうことなんだと思います。

「歳」は取るもの、あるいはそれを「重ねる」なんて美しげに言いますが、自分のことを話すときに「歳を重ねる」なんて言い方は高貴すぎるし、歳を取るというのも負のイメージを上塗りするような気がして、一息飲み込み考えてました。それでカンタンに「歳が増える」だって自分で増やしたいわけでもなく、勝手に増えるんだもの。つまり「取る」「重ねる」という自動詞じゃないんだな。

歳を自発的に取ることは現代的で、「自分の人生を自分でデザインする」みたいな心意気があってようござんすが、

日々色付く椛の葉っぱを眺めてそして、葉っぱがこんなカタチしているだけでも奇特なことなのに緑が赤に変わる魔術を見せられるとさ、自然に移ろう流れに浮かんでいようと思うわけですわ。

夏の終わりにシンガポールを訪れたとき滞在2日で思いました。四季のないところにはずっとは居れないと。

立冬。イヤだな寒いのは。と言いながらそれなりに冬支度を楽しんできましたよ、あたしたち。

あと何回のもみじあと何回の冬支度。