ドキドキイビキ職人みみはなこのブログドキドキ 
いびきと睡眠時無呼吸 で悩む
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さ3月半ばにインフルエンザA型をみたのが最後と思っていましたが、本日いました!

 

 

 

 

 

 

60歳代の男性。周りに罹患者もいないとのこと。街にはウイルスがいるのね。

そしてこの手足。子どもさんたちに夏流行りやすい手足口病です。

 

 

 

 

 

 

 

皆さん気をつけてくださいね。


お彼岸過ぎて寒さも終わり。とはいいますが、今日は冷たい雨。寒暖の差に着る物苦慮しますね。

昨日は花粉曇りとでも申しましょうか、晴れているのに、なんだかスモーキーな空気の一日でした。ウォーキング途中、飛鳥川べりの草薮から雉(きじ)が出てくるのを見ました。写真撮ろうと近づいたら藪に隠れてしまいました。ガサゴソという音だけが聴こえてきました。きっとこの中に巣があるのだな。

朝は蕾だった木蓮、午後にはポンと開きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の雨は木々に潤いをもたらしてくれます。そして雉の雛たちにも。

ガサゴソ。ポン。春の音です。

 

 

 


大阪のとある公園に沿う道路に面して、ある新進デザイナーの小さなお店がある。
これは、そこの店員さんのについて思うことのブログである。

彼は彼であるが、彼女と本当は呼ばれたい人だと思う。

顔立ちはどちらかというと目立たない感じ、そのブランドの洋服を身につけているようだが、女装でもない。

年の頃は30あちこちだろか。

お店には、動物モチーフのグッズもあれば「青い目をしたお人形」柄やアリスやスターウォーズ柄の洋服もあり、こういうのをゴスロリと呼ぶかと言えば、ほんまもんのゴスロリとはまた違うテイストで、なかなかカワイイし楽しいので、

どれもステキ。カワイイ。

などと言うと、

カワイイんですよ。

なんて言わず、

カワイイですよね〜。と寄り添う言葉を返してくれる。

気に入ったスカートがあったので、試着させていただくと、ありゃ、腰回りがキツイわ!

すると、彼は、

お直しします。ちょっと待っててくださいね。といいながら、マウントレーニアコーヒーのようなのをあたしに差し出し、糸を舐め舐めしながら縫い針に通して、ボタンの付け替えをしてくれた。

あたしは思ったのだ。

この人たちが世の中で一番ピュアな人たちじゃないか。

小一時間でそんなことわかるかい?!と思われるだろう。あたしも短絡思考とは認める。

だけど、メゾン・ド・ヒミコを思い出して下さい。見てみて下さい。

 


「センセ、目ぇかいかい❗️カフンでっか、これ⁉️

おととしもらった目薬、さらやったから点そうと思って見たら賞味期限きれてまんねん。」

と、ポケットを探すが、出て来ない。

「なあ、まりちゃん、さっき見せたやろ?なんちゅう名前やった?」

スタッフまり登場

「ハイハイ、パタノールでしたよ。期限切れでしたからそれはもう捨てて下さいね〜」

「そうでっか。ほな、マタヌール新しいのだしとくんなはれ」

「ハイ、パタノール点眼ですね。」

マタヌールちゃうちゃう。マタにぬってはいけません。

「それそれ、マタノールお願いしまっさ」

いやちゃうって!マタにのってもいけません。

パタノール。他にもいろいろ取り揃えてございます。

先日、自衛隊を南スーダン派遣から引き揚げる旨を安倍首相が述べていたとき、

「もくと」がついたのでひきあげることにした

という言葉に???

「めど」のまちがいじゃないのお!?

「みぞーゆー」シリーズか!

と思ったあたしこそが無知蒙昧であった。

「目途」という言葉があり「もくと」と読むらしい。

「めど」は「目処」と書く。

で、目処は立つものらしいが目途はつくものらしい。

専門用語ならともかく、会話で使われた言葉で、人生初耳語があるとは….なんとも小恥ずかしい。

だが、皆さん、もくとがつく  なんて使ったことありますぅ?

ミモザも5分咲き。今月末には満開の目途がつきましてございますう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピントがあってない桜🌸🌸🌸🌸ではなく、あたしは、蜷川実花展の床に敷かれた満開の桜🌸🌸🌸🌸🌸の写真の上に立っています。

版権の関係でムリなものも多数ありますが、今の展覧会は撮影可のブースがあるところも増えましたね。

だから、こんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おびただしい数のポートレートの部屋は撮影ダメでした。(ここを一番見せたい)

大好きなミュージアムショップではこの写真柄の袋物(バッグとも言い難い)売られていましたが、あまりの高さに、絶句。

こんな感じ(拡大したら値段見えるかなあ〜)

 

 

 

 

 

 

しかし、これ、使い方ちょっとまちがえたら、某町の商店街おばちゃんになっちゃいます。

蜷川実花さんの写真、元々が、カラーでいうとケバい!から、ファッションとしておばちゃんがグレイスに使うのはかなりのハイテクが必要。

しかし本来的に「蜷川実花」を観ると、独特毒々な個性が素晴らしく、彼女の撮った数々のポートレートを見るにつけ、もはや、我が遺影はこんな風に我が家のNikon  proに撮ってもらいたいと思うわけであります。

蜷川実花展には彼女のセルフポートレートの部屋もありましたが、こりゃ仰天奇天烈!すべての芸術家は(文学も含めて)赤裸々に自己を晒け出せる人だという、我が密かな定義を再認識しました。

 

 

これまたなんともタイトルからは予測のつかない村上さん新刊である。あたしなんぞオペラもモーツァルトもドン・ジョバンニも全く造詣皆無な者には。

「騎士団長殺し」

読み進めて、あゝこれぐらいの音楽的常識を身につけときたかったと真剣に人生を後悔した。

しかし、まだ佳境の入口にいる。従って今日はネタバラシでも読書感想文(書評なんてコトバおそろしくて使えませぬ)でもありません。

が、伊豆高原が舞台の一部で、肖像画家が主人公で、ドン・ジョバンニの騎士団長殺しが絡み、肖像画を依頼に来たなかなかイイ男がプラハでドン・ジョバンニを観た、というところまで読んで、伊豆高原とプラハなんて、銀座とニューヨークほどメジャーじゃない、むしろマイナーな地名が2つ出てきたことに感動した。ふふふっ。

個人的な旅の記録(記憶)を引き出そう。

池田20世紀美術館という「ミニマムだがええもんがある」美術館が伊豆高原にある。道はあるが何もない伊豆高原の山の中だ。

そこを出ると、道沿いナナメ135度あたりにぽつんと天ぷら屋がある。ひどく取っつきが悪いが腕がいい亭主がいる。あ、天ぷら割烹店と言わなきゃ。失礼。

数少ない訪れたことのある海外の街の中でも、プラハはずっと居たい街。ドン・ジョバンニ初演の街とは知らなかったが、そもそもドン・ジョバンニを知らないのだからあたりまえか。

以上全くもって他人にはなんの感動もない旅の記録(記憶)である。

しかしだ、「騎士団長殺し」に最近訪れたマイナーな土地がいきなり2箇所も出てくるとなると、

これはもはやあたしのための小説と勝手に思わざるを得ないところに来ているわけだ。ガハハッ。

以上全くもって読者にはなんの感動もない「騎士団長殺し」さわりの感想プロローグでした。

因みに天ぷら屋は検索したらわかります。

人はプラハに一度は行くべきです。

ソビエト侵攻の歴史も少し調べてみて下さいませ。

 

 

 

 

 

 


3月ですよ!

ミモザの春。

 

 

 

 

 

 

1メートルに満たない苗木を植えたら3.4年で屋根を超えてかなりの大木になりました。もうすぐ開花です。花言葉は秘密の愛

ネコヤナギを巨大化したような花芽。木蓮の

春。花言葉は自然の愛

 

 

 

 

そして、咲きました!なぜか「クリスマス」ローズの春。

 

 

 

 

 

ヨーロッパではクリスマスの時期に咲く種類があるんですって。花言葉はいたわり。

愛あふれる花々です。

ちなみに、3月に人々を悩ませる

スギの花言葉は雄大 なんですって!

今日は八尾西武百貨店最後の日。

八尾に来て18年目のあたしですが、ここからはちょっと行きにくいので買い物をした思い出はないです。

しかし、

しかし、

八尾西武には開店したときイベント会場があり、舞台や映画が上演されていたのです。

それは1983年と1984年のこと。

寺山修司のレミングの舞台。

寺山修司さんが亡くなってすぐのころの

劇団天井桟敷の舞台「レミング」です。

全くわけのわからぬ公演でありました。しかし、あの真っ暗の中に仄白く浮かび上がる肉体の無駄の無さと無駄な動き。意味の無さとこめまくられた意味の深さ。あゝ全くわけがわからない、のに、わかったふりして上演会場から出るアバンギャルドを目指していた自分。しかし、出たら目の前はあの八尾西武の食堂街。わけがわかる世界に戻ってほっとする自分。

 

 

 

今日はあの西武が無くなる日。

 

 

もう一つは

デヴィッド・ボウイの映画「地球に落ちて来た男」

地球に落ちてきた女になった気分で会場から出てきた、シュールリアリストを「研究」していた自分。

ボウイさんも亡くなってしまいました。

 

今日は八尾西武最後の日です。

 

 

 

チケットにある絵は「ホロフェルネスの首を持つユディト」という。

 

 

 

 

 

 

 

 

クラナッハはクラーナハと表記されて登壇した。はてな。これを機にクラナッハをクラーナハとするのだ、というキュレーターの勁い意図あるいはたくらみを感じ、彼らがほくそ笑む姿を想像してしまう。

そんな前置きはさておき、いきなり「首」だ。

しかし、残念なことに、どうせ惨たらしい首をチケットにするなら原画にある頸の断面まで入れてよね。

冷ややかな視線のユディトが持つホロフェルネスの首、その頸の断面の描写に思わず目が離せなくなり、解剖学的に正しいのかという思いがよぎったが、そこは絵画鑑賞の極意ではない。正統派鑑賞者の姿を装いながらも、さらに陳腐な事事がアタマに浮かんで仕方ない。

500年の時を経て目の前に在るクラナッハのヴィーナス像。この像に魅入ったのは、妙な琵琶のような、はたまた洋梨のような体型に我が身をなぞらえ得た少女時代であったが、数十年の時を経て、別の意味で洋ナシ体型になっちまった、と思い眺めるあたしでした。この絵、実物はすごく小さくて驚きました。

それにしても、クラナッハは、かのマルチン・ルターの結婚の介添人であったとは。

 

 

 

 

 

 

 

頸断面はこちらでございます。

余談ではありますが、ミュージアムショップにはこの絵をプリントしたTシャツが、お代10000円で売っていました。

 

着たくない。。。