妄想春分日記 あるいはニーチェ彼此

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二十四節気は春分。ときに仏教用語では「彼岸」と言いますが、彼岸という言葉は以前から妙に気になる言葉でした。向こう側。対義語は此岸。

彼岸、で、思い浮かぶのが、「善悪の彼岸」ニーチェであります。しかし、自分はニーチェを語れるほどにニーチェに精通しているはずもない。ツァラトゥストラに  ‘神は死んだ ‘と語らせた、その意味を解されなかった付記として、既存のキリスト教的道徳に基づいた哲学を批判し善悪の基準など乗り越えた彼岸に行こうと言った、と貧困な解説をするにとどめますが、、、

この  原題 Jenseits von Gut und Böseを竹山道雄が「善悪の彼岸」と訳したのは仏教思想とのミックスなのかなあと、思ったりしだすと、やはり彼岸という言葉が妙に気になるわけです。ドイツ文学哲学を専門とした竹山道雄が、仏教徒なのかクリスチャンなのかわかりませんが、かのビルマの竪琴は日本兵がビルマに残って僧侶となったという物語ですから。

おっとっ!連想が妄想になってきました。

で、春分。これから昼が長くなる方に向かっている季節にあって昼と夜が同じ長さの日。明るい方向に向かう分岐点です。ニーチェは善や悪といった道徳などの規範なんかを超えて越えた彼岸を目指せと言うが、あたしの脳みそでは善悪の「此岸」にあって日々正しく生きることしか理解出来ないな。さあ善く正しく昼を楽しもうではないか。