みみはなこカンロにノーベルを思う

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二十四節気は寒露です。

そしてノーベル賞発表の候、でございます。

医学生理学賞、物理学賞の2連続受賞には拍手喝采でした。しかし知らんわな?みなさんも。こんな方々。

医学生理学賞、こんな仕事してるあたしも知りませんでした。大村さんも大村さんの業績も。しかしその業績(といってもTVやネットで見聞きしただけ)を聞き知ったら、この人にノーベル賞をやらんでどうするねん!と思いました。

その次の物理学賞の梶田さんもしかり。

ですが、

世の中には他にも偉い人がいっぱいいらっしゃるものですね。

日本人が受賞できなかった化学賞にしても、今年かもしれないとマスコミがスタンバイした化学賞候補がなんと30人以上いたとTVで言ってました。
ところで話の本流は文学賞です。

実はあたし、村上さんの小説、発売されたら直ぐに読んできました。が、ハルキストではありません。

この人にしか書けない世界。

それなら他の作家にだってある。

この人独自の文体。

それも作家と呼ばれる人たちは独自に持っている。

文学性の高さ。

何をもって高低を云々するのか。

まことに文学を論ずることは難しい。

科学すべてに大事なことは媚びない姿勢ということ。気高さと潔さ。これを兼ね備える科学者こそが称えられてきたと思う。

しかし文学に於いては気高く潔くとも読み手が受け入れなければ成り立たない。

気高すぎ潔すぎる「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」その2年後気高く潔い(とあたしが思う)「ノルウェイの森」気高いけど潔くない「ねじまき鳥クロニクル」気高くなく潔くない(とあたしが思う)「1Q84」

まことに文学は奥深い。

気高く潔くしかも《難解な》大江健三郎でないとノーベル賞はもらえないのか。

(しかし大江健三郎を自分は読み手として受け入れたことがない。はっきりいってわからんのだ。わからんと楽しくないのだ、ワッハッハ。)

そして、その基準や規則性(といっても今にわかにあたしが思いついただけですが)でいけば、他に差し上げるべき方がいるように思えてきます。

そう、なんだか村上さんが永遠のノーベル賞候補であるわけがわかるような気がする一冊。

文体はいつものムラカミで、今読んでいる本を置いといて読んでしまう本。

  
寒露(カンロ)にノーベルを思うとは、なんだか飴アメづくしですな。

あほなこと言ってないで「職業としてのみみはなこ」でも愚考するか。