大寒にスイカ母子を思い出す

テーマ:未分類

二十四節気は大寒です。

奈良の吉野山入り口付近の町から、ひとりの女性が患者として来られました。喉の調子が悪いと。吉野山入り口付近の町が田舎と思われる方も多いでしょう。たしかにそこは都会からすれば田舎でありますが近鉄電車も走っていますし付近に医療機関がないこともない町です。だからなんでここまで?喉が痛いといった極めて一般的な症状で。と問診票を見てから顔を上げ、1秒2秒、そして3秒目に、あっ!と声をあげてしまいました。Nさんの….

その方はTさんといって、Nさんという方の妹さん。

Nさん。忘れもしません。研修医のときでした。あたしは元日の当直という大当たりを引き、さらに元日に呼吸困難で救急搬送された、Nさんという40歳にして頚部皮膚にまで病巣が及び息も出来なくなった喉頭癌患者を引き当てた、つまり、自動的に主治医になったわけです。

喉頭癌というのは最近ではつんくさんがノドを取ったことで有名な病気。しかし、当時でもほとんどが、最悪でも喉頭摘出で無事お帰りいただけたものでした。

しかしNさんの腫瘍は喉頭から飛び出て首の皮膚まで盛り上がってしまって手術でも全部取り切れるものではありませんでした。

それでも一年ほどは生きながらえられたと思います。そのころ研修で他院に行かねばならない時期があってあたしはNさんを看取ることはありませんでした。

Nさんはお家とは離れて久しく、お母さんからしたらおそらく気にかかるかわいいかわいい息子だったのではないかと思います。ご兄妹であるTさんたちもよく見舞いに来られました。家から離れていた息子が病気で、そして亡くなって家に戻って来たということになってしまいました。

その次の夏、どこで知られたのか、Nさんのお母さんがうちにスイカを持ってきて下さったことがありました。とても大きな甘いスイカてした。

それからしばらくして大学病院に戻ったときに、あのNさんのお母さんが入院されてることを知らされました。しかも末期の甲状腺癌でした。甲状腺の癌。これもタイプによりますが、ほぼ完治させることができるもののほうが多い癌。しかしNさんのお母さんは悪性度の高い種類の癌でほどなくお亡くなりになってしまいました。

あたしは、 あたしたちは、患者さんの死に際して精一杯の力を尽くし誠意でもお見送りをいたしますが、お葬式に出向くことはありません。しかし、あたしはお母さんのお通夜の前にお悔やみだけを申し上げに行きました。
それから20年近い年月が経ちました。

奈良の吉野山の入り口付近の町は今日の大寒波で真っ白と思います。

先週Tさんからお葉書いただきました。

この仕事をしていてよかったと思いました。