立春に冬の詩二編。中村先生を思い出す。

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二十四節気は立春です。節分も過ぎ歳をひとつとって…春。しかし、本日はきっぱりと寒い。だから立春には全く相応しくない詩を思い出した。

《きっぱりと冬が来た

八つ手の白い花も消え

公孫樹の木も箒(ほうき)になった

きりきりともみ込むような冬が来た

人にいやがられる冬

草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ

僕に来い、僕に来い

僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

しみ透れ、つきぬけ

火事を出せ、雪で埋めろ

刃物のような冬が来た》

高村光太郎「冬が来た」この詩の作者を三好達治とまちがえていた自分。

この詩は「朗読」で初めて聴き知った。高校一年の時。寒い月曜日の朝、校庭で。

月曜日は朝礼で校長先生が壇上から訓話をされる。中村先生。こんなことを言ってはなんですが、校長先生という人が自分の就学時代に幾人かおられた中でいまでもしっかりと名前まで覚えている先生は中村先生だけです。とてもインテリジェンスのある尊敬すべき人格者でした。その先生がときに漢詩や古典から、ときに現代詩から、引用してされるお話が、当時も高校生の月曜朝礼なんてダラダラとした雰囲気満点の中に自分も漏れずダラけまくっていたにもかかわらず、なぜか心に残るものだったのです。

で、なぜ三好達治とまちがえたか?

中村先生は三好達治の「雪」も朗読されたことがあったからです。

《太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。》
立春に中村先生の朗読された冬の詩ばかりを思い出すのはな全部なんでしょう。

寒いから。

そして、この時代に読むべき本を読まなかったことも気がかりになります。

中村先生が勧めらた本、阿部次郎の「三太郎の日記」。 

 これは大正昭和初期の学生の青春バイブルだったようですが、いまからでも死ぬまでに読んでおきたいと思う寒い立春の朝、テレビではこの国のスーパースターが道を誤ってしまった話題しきりです。